HDR:風景

徘徊する米子さんとの会話の中で「昭和の親しみ」を感じた夜

新橋周辺のガード下nobiann
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2013/11/22深夜0:00過ぎの話…
バス通りの真ん中を歩く徘徊お婆さんを帰路で発見した。声をかけてパトカーを呼ぼうと思ったがお婆さんはすぐに嫌がっていた。「自分で帰れるから大丈夫」と..
徘徊で何回も警察のお世話になっている事は本人もわかっていたようだ。だから独りで帰ると意地を張ったのだろう。

このまま独りで歩かせるわけにも行かないので「一緒に家まで行くよ。」といいながらバイクをその場に置いた。私は交番まで一緒に歩く事にした。

一緒に歩くうちにお婆さんの緊張する顔も徐々にほぐれてきた。お婆さんは身長140センチ程の小柄な人で笑顔がチャーミング。しっかりとした足取りで笑顔でいる。話をしていくうちに名前や住所を聞き出す。米子さんという名前だそうだ。米子さんはきちんと名前や生年月日、住所まで答えられるのに家と反対方向に帰っていたという…話を聞けば「昼ご飯を食べて家を出た。」という。「亡くなったお爺さんに出かけてくるね。」という挨拶を仏壇でし、そのまま家をでたままだそうだ。ご飯も食べず水分も摂らずトイレにも行っていない。ひたすら家に帰る為に歩くのみであったのだ。

このままあの道を歩いていたら車に跳ねられるか凍え死ぬか、又糖尿病を持っていると言っていたので低血糖による意識混濁で倒れたかどっちかだったんだろうなと。バイクを止めて一緒に歩く事でなんだか自分もホッとした。

米子さんは昭和6年生まれで今年82歳になるという。「あんたと歩いて安心したよ」という笑顔を見ると自分はもっとホッとしてしまう。「家がわからないという精神状況」は非常に不安感や焦燥感を煽るものだと思う。しかし米子さんは毅然としている。「ずっと歩いているのに全然元気だねー」と私が笑いながら言うと「そりゃね。気が張ってるからね。」と笑顔で話す。

やっぱり戦争体験等苦労しているからなのだろうか。それとも普段から徘徊している自分に気付いており慣れてしまっているのか…米子さんは全くめげない。そんな米子さんを見て私は、「やはり戦前産まれの方は強いし昭和のパワーは凄い、だから自分は昭和の風景に魅かれるのか…」と心の中で苦笑した。そんな気持ちに浸っていると周辺の路地全てが全て古いものに思えてくる。足に負担のかからない裏道を通ったせいかあたりは薄暗く植木鉢や自転車、潰れた商店等が立ち並ぶ地元が新鮮に見え昭和の親しみさえ感じていた。。

そんな裏道を通り過ぎると駅前のデパートが見えてくる。一気に現実に引き戻された気もしたが交番までゆっくりと歩く。

交番が見えると米子さんの「警察の世話にはなりたくない」という気持ちが一気に蘇る。
私は「家族の人が心配して警察に連絡してるかもしれないから念のため交番に行こう。その後もちゃんと私が責任を持って家まで着いて行くから」と促す。しぶしぶ交番に入る米子さん。表情は暗い。「徘徊する」という自分の異常をこれ以上に認識する場面が他に無いのだろう。
「人の世話になるという事」が気丈な心を崩してしまう瞬間なのだ。

米子さんは交番に入ると警官の言う事全てに「はきはき」と答える。保護された経験がある故にこの後の流れもわかっているのだろう。それを見てホッとした。

自宅に送り届ける為のパトカーが来た時に「一緒に乗ってお家に行こうか?」と話すと「ううん。いい。後は送ってもらえるから。」と笑って返す。
パトカーの中にいる米子さんに笑って手を振る。米子さんも笑っている。パトカーのブレーキランプが消え、車はゆっくりと走り出す。
自分もそれとほぼ同時にバイクの置いてある場所まで歩きはじめた。

歩いている途中なぜか心がほっこりとしている。平成という時代を決して罵倒するわけではない。だけど自分は今夜昭和の親しみに触れた。又昭和に触れて親しみを感じた。「親しみ」という感触をここ最近感じていない。私は米子さんと出会い一時間という短い時間であったが一緒に歩きながら話し「親しみ」を感じた。
今思うとこの感触に私は感動していたんだと思う。

米子さんと歩き親しみを感じた場所を私はカメラに収めようと思う。三脚を持って歩いて一つ一つ丁寧に撮ってこの「親しみ」という感触をいつまでも心の中に植え付けていたい。
私は昭和を撮り続けようと思う。

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