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部活はと言うと2年で副部長、2年後半には部長になっていた。特段に楽器が上手でもなかったし、何ら特徴も無かったのだけど部長だった。ただ当時のブラスバンド部のクオリティーを上げる事には必死だったと思う。よりよくなるためにはどうしたらよいのか?という事にこだわっていたと思う。だからと言って何をしたのか?とかどんな功績を残したのか?と言われると何も答えられない。そして部長だからどうということも無いのだけれど。

ブラスバンド部に入った理由は小学校の入学式だった。聞いたことのない音量と多高低音の重なりがあまりにも圧倒的で衝撃的だった。小学校4年生にならないと入部できなかったのだが4年生になったと同時にブラスバンド部に入部した。
体格が少し良く(コデブ)音符等も読めない(そもそも楽器をやったことが無いのに入部)からあてがわれた楽器だったのだと思う。
本当はトランペットやトロンボーンが吹きたかったのだけれど強制的にユーフォニウム…
知らない人は全く知らない楽器なのでwikiを読んでもらえばわかる(のか?)
この楽器はパリッとした音が出ない。僕は逆にその丸みのあるやわらかい音が吹く度にどんどん好きになっていった。強制的に息を多く吹き込んでも良い音が出ない。愛と優しさを持って音を出さないとならない楽器。奏者と共鳴して初めて生きる楽器なのだ。説明するのが面倒な楽器ではあるがそれが自分らしい。ユーフォニウムは技術的に下手な人が吹くと音が全く飛ばない。音が飛ぶようになり、音が広がるようになる。そしてビブラートがこなせる様になれば最強の楽器。愛と技術の共鳴はカメラに似ていると思う。僕はユーフォニウムという楽器が好きだったし今でも好きだ。

引き続き中学校でもユーフォニウムを選択した。

中学校1年の時のブラスバンド部は3年生が居なかった。2年生と僕ら1年生だけ。そして音楽の先生も転任してきたばかりの先生だった。
部活は当時最大何名位になったのだろうか?その辺りまでは話さなかったけれど、僕らは母校ブラスバンド部のパイオニアだった(はず。多分)
僕がトランペットとトロンボーンの彼に「俺らはたしか母校ブラスバンド部のパイオニアだったよね?」と聞くと彼らは否定しなかった。だからそうだったという事にしておこうと思う。。。

転任してきた先生は「堤真一を更に野暮ったくした感じの先生」だった。余談だが相当のヘビースモーカーだった。そして更に思い出すと小中高通して音楽の先生は全員ヘビースモーカーだった。ニコチンと音楽は脳に対する作用が似ているかもしれない。と喫煙していたころを思い出すと煙草が吸いたくなるのでやめておこう。。

この「堤真一を更に野暮ったくした感じの先生」は選曲が特徴的でとても中学生が演奏するような選曲をしなかった。一番思い出に残っているのは「火星」(ここで聞けます)今聞いても暗い曲だな。リズムを取るのと2オクターブ以上高い音を出すのに苦労した。いい経験になったなぁと3人で納得していた。がしかし思春期に暗い曲ばかり演奏していたのが影響して写真も暗いテーマばかりになってしまう。何かしら影響を及ぼしていると思う。先生はもう70歳を超えたのかな。さすがにFBを検索しても出てこなかった。
もう少し明るい曲を選んでくれれば僕も夢と希望と勇気を皆に与えられる写真家になっていたはずなのに!と先生に責任を負わせることにした(笑

そんな話をしているうちに時間が迫ってきた。僕らはレストランを出た。




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